ゆっくりとさよならを

最近なかなかブログが更新できない理由がある。
現在、私は浪人中であるが親の介護している。
その親が遂に危篤状態になってしまったからだ。

グリオブラストーマ。手術すること2回。放射線は70グレイ。
後はベーターインターフェロンとテモダール。1年頑張った。
でも再発した。脳の中に播種してもう手が付けられない。
末期なのに病院には行きたくないと我がままを言う父。
仕方ないので勉強をほっぽり出して家で介護介護介護。
飯を食わせ、風呂に入れてやり、点滴を打って、おむつを変えて…。

遂に悪くなり始めけいれんを起こし、意識が無くなり救急車で搬送。
病院で言われた医師の一言「もう治療はしないの?で、何がして欲しいの?」
もう余命幾ばくもない患者を連れていくことは病院には迷惑なことらしい。すみません。
「で、できたら、苦しくないような緩和ケアをしてもらえると…。」
「うちではやれることがないね。帰って畳の上でっていうの?やってあげたら?」
「はあ……入院は無理ですか?脳圧もあがってて在宅医師は家では限界があると言われてて。」
しぶしぶ入院決定。
入院してから緩和ケア専門ナースさんにいろいろ話を聞いてもらった。
本当はホスピスに連れて行きたい旨。ホスピスは死ぬことを自覚し延命をしない病院。
病院はできるだけ延命をするところ。だから一般病院では医師が反発するのだと。
できるだけ希望を伝えてホスピスに近いケアをしていこうと…しかし医師は希望言ったら怒り出して話し合いにもならなかった。

本当の本当は家で看取ってやりたい旨。
でも親は子である私だけの思いだけでは最後を迎えさせてやれない。
病院で死ぬことを希望する親戚、未だ伴侶が死ぬことを受け止められない母。
父は家で死にたいと言っていたのに…。

病院の思惑、母の思惑、親戚の思惑。そして私の気持ち。
父が死ぬことにいろいろな思いが交錯する。
仕方がない。だから計画はなく、その時の空気と気持ち一つで決めていく。
周りはもめてはいるが父の顔は穏やかだ。
寝息は息苦しさもなく、顔は童子のように無垢である。
ありがとう。ゆっくりとさよならを言わせてくれて。

昨日は通り魔事件で沢山の人が無くなった。
不謹慎であるが「これは閻魔さまも手一杯だ。今日はお迎えが無いね。」
ホットしてしまうのと、世を憂うのと複雑な心境。




「今、赤ちゃんを産みました」を考える

産科にいると「今、赤ちゃんを産みました。どうしたらいいでしょうか?」と言う電話がある。

妊婦健診を受けず、最近妊娠を知った未熟な母親からのSOS。
ここで言う未熟な母親とは、年齢ではなく母性を持たないで出産をする母親を言う。

妊娠する前に考える事はある。生活の基盤を安定させることである。
妊娠してから考える事はある。心身を安定させ母性を養う事である。
出産するとき考える事はある。安全に子供を産む親としての義務である。

こうした機会を通して母性は完成し子を愛しむ基盤となる。
子供が生まれたその日から母は子供を抱きしめ子供に愛情を伝承する。
チンパンジーでは親に抱っこされないで育つと自分の子供も抱っこしないで育児放棄する。
人間でも同じ現象があると専門家は言う。

「今、赤ちゃんを産みました。」の裏には危険が潜む。
トイレの中に落ちていたこともある。
路上で新聞紙に包まれていたこともある。
息をしていない事もある。
いつかはコインロッカーの中にいた事もあったという。

こうした赤ちゃんはそれでも生きて、わずかな愛情の中でも逞しく育つ。
彼らが自分の子供を抱きしめられるそんな大人になって欲しいと願う。
かつて道路に捨てられた30歳の方は「生きていて良かった」と話していたと言う。BY家族と健康

慈恵病院では開始から今年3月までに17人の子供が託されたそうだ。
そのうち9人は県外からの委託(と言うべきか遺棄と言うべきか)だそうだ。BYくまにち.コム

例えば名古屋から熊本まで陸路で19,980円。
明日食うに困った親は往復4万の出費でも子を捨てに行くか?
4万あればその月食うには何とかなる。
県外から捨てにくる理由は?
先々の事を考えず今の煩わしさから逃れたい無責任さであろうか。
やはり日本のどこかで「抱きしめるという」愛情の伝承が上手くいっていないのであろうな。

「思いもよらず妊娠してしまった…」に日本の文化はいろいろな理由で蔑視する傾向にある。
「…大事に育てますから安心して産んで下さい。」という環境には疎い日本の文化。
否、何時かはこんな時代もあったかもしれない。
「家」である。家族は親戚一同が一緒に暮し甥も姪も孫もひ孫も家の誰かが育ててくれた。
叔母の子供は姪の子供で姪とは親子であり姉弟である何て言う複雑な関係があった。
(つまり子供が子供を捨てると親が親になる系図)

最近の傾向では、親が元気であると嫁や娘は子供をたくさん産むのだと言う。
日本では子育ては「家」に依るところが大きい事が分かる。
家族の離散をいかに防ぐか。家族の離散を無駄に進めているのは何か?
考える所はここにあるのかもしれない。

「今、赤ちゃんを産みました。」は孤独な世の悲鳴の様にも聞こえる。

ガバナンスを考える人

総理、大統領、代表、党首、首長、監督、社長…あと何かある?

公か私かはこの際関係なく、とにかく組織をまとめる人。大抵偉い人。

社長が部下の不正を知りえた場合、社長も不正行為があったとみられます。
最近はこうした人たちが内部統制をきちんとできないと市場を荒らした作為として罪になります。

こうしたガバナンスを考える人たち。誠に御苦労さんです。
しかし、総理大臣や大統領が国民の総意を知り得る事は大変困難で現実との乖離が甚だしい。
野球の監督だってそうだ。野球選手のその日その日のコンディションなんていちいち知る由もない。

ガバナンスを考えるのは何も総理や監督だけではない。(大体の枠は考えなきゃならないけどね)
下々のさらに底辺の人だって考えなくてはヒエラルキーは崩壊してしまうし、機動性が損なわれる。

中日ドラゴンズ和田選手「投手が厳しい時は打者が踏ん張らないと。それがチーム。」
それがチーム。含蓄のあるお言葉です。

総理がダメなときは国民が自立しなくては。
社長がダメなときは社員がアイデアを持っていかなくては。
監督が言わなくても投打のバランスを考えられる選手でなくては。

誠に世は持ちつ持たれつ。支え合い支えられ。己を差し出しても世のため人のため。
何はともあれ野球は面白いですな。

生活保護規制緩和の裏で考え事

生活保護受給者が海外渡航したり未承認薬の使用が一定の条件を満たせば可能になるそうだ。

そうか…海外旅行は不可だったのか。車やクーラーが駄目だと言われた時代もあったが、まだ海外旅行はできなかったんだね〜。

かつてイギリスではエリザベス救貧法と言うものがあり、社会保障法の先駆け的法律であるとも言われている。
戦争から帰ってきた兵士に生活保護を行うものであるが、強制労働との引き換えにパンとベッドを与えるといった人権を無視した内容である。
これが修正され病者、老人は強制労働の規制を緩和した新エリザベス救貧法ができたのであるが、やはり人間ヌルイ生活に甘んじると自律できなくなるのが世の常でして、不況の原因になってしまったとか。結局、法は「保護はする。しかし働け」という元の木阿弥になったとか。

「生活保護」働かなくてもお金がもらえる。しかし、あらゆる文化的恩恵から切り離され最低限度を強いられる。最近はそれでもいいからと自ら堕落する輩もおり…何ともはや。

生活保護は社会保障の枠では大きな割合を占める。
規制が緩和されればそれだけ恩恵を受けられる人もいるが税金を払う人への負担が大きくなる。(今回の緩和が一概にそうとは言えないが)
社会が不景気であれば社会保障費の負担は世の流動性を阻害するものになる。
逆に社会が豊かであるのに社会保障が進まないと社会的弱者は人権を無視された生活をしなくてはならない。

つまり、社会保障とは「納税者(支払能力)、生活保護者(権利保護)、社会情勢(景気)、運営システムの整備(平等分配)」のバランスが必要である事が言える。と言われている。

人と人とが支えあい豊かな社会を築く事(相互扶助)は、理性ある人間ならではの文化的行動であろう。規制緩和には賛成であるが、自律した人間をめざす努力もして欲しいなーと思うmitwochである。

FREE JAPANとでも叫べ

タイトルに聖火とかチベットなんて書いたら大変なことになりそうなんで…

人権問題は慎重に尚且つ厳格に語らなくてはならない。
今私にチベットと中国にとって有益な人権解決方法を語る力も能力もない。
つまり私は黙っておくことが賢明の策である。

ではでは…。

でもさ、日本でのデモ行為は集結の自由があったとしてもだね、公共の治安を乱さない範囲での自由だしね。言論の自由ったってこれも公の制限はあるからね。公権力は非常に強いわけだ。

フリーチベットの前にフリージャパンじゃねーのかと…。
いかん、私は人権団体の関係者か?単なる通りすがりの市民です。ぼやきです。

ダライラマが中国に対話を求めた行動は最善です。はい。それに答えた中国も良い子です。
デモは自力救済でしょうな。手続きを重んじましょう。