「今、赤ちゃんを産みました」を考える

産科にいると「今、赤ちゃんを産みました。どうしたらいいでしょうか?」と言う電話がある。

妊婦健診を受けず、最近妊娠を知った未熟な母親からのSOS。
ここで言う未熟な母親とは、年齢ではなく母性を持たないで出産をする母親を言う。

妊娠する前に考える事はある。生活の基盤を安定させることである。
妊娠してから考える事はある。心身を安定させ母性を養う事である。
出産するとき考える事はある。安全に子供を産む親としての義務である。

こうした機会を通して母性は完成し子を愛しむ基盤となる。
子供が生まれたその日から母は子供を抱きしめ子供に愛情を伝承する。
チンパンジーでは親に抱っこされないで育つと自分の子供も抱っこしないで育児放棄する。
人間でも同じ現象があると専門家は言う。

「今、赤ちゃんを産みました。」の裏には危険が潜む。
トイレの中に落ちていたこともある。
路上で新聞紙に包まれていたこともある。
息をしていない事もある。
いつかはコインロッカーの中にいた事もあったという。

こうした赤ちゃんはそれでも生きて、わずかな愛情の中でも逞しく育つ。
彼らが自分の子供を抱きしめられるそんな大人になって欲しいと願う。
かつて道路に捨てられた30歳の方は「生きていて良かった」と話していたと言う。BY家族と健康

慈恵病院では開始から今年3月までに17人の子供が託されたそうだ。
そのうち9人は県外からの委託(と言うべきか遺棄と言うべきか)だそうだ。BYくまにち.コム

例えば名古屋から熊本まで陸路で19,980円。
明日食うに困った親は往復4万の出費でも子を捨てに行くか?
4万あればその月食うには何とかなる。
県外から捨てにくる理由は?
先々の事を考えず今の煩わしさから逃れたい無責任さであろうか。
やはり日本のどこかで「抱きしめるという」愛情の伝承が上手くいっていないのであろうな。

「思いもよらず妊娠してしまった…」に日本の文化はいろいろな理由で蔑視する傾向にある。
「…大事に育てますから安心して産んで下さい。」という環境には疎い日本の文化。
否、何時かはこんな時代もあったかもしれない。
「家」である。家族は親戚一同が一緒に暮し甥も姪も孫もひ孫も家の誰かが育ててくれた。
叔母の子供は姪の子供で姪とは親子であり姉弟である何て言う複雑な関係があった。
(つまり子供が子供を捨てると親が親になる系図)

最近の傾向では、親が元気であると嫁や娘は子供をたくさん産むのだと言う。
日本では子育ては「家」に依るところが大きい事が分かる。
家族の離散をいかに防ぐか。家族の離散を無駄に進めているのは何か?
考える所はここにあるのかもしれない。

「今、赤ちゃんを産みました。」は孤独な世の悲鳴の様にも聞こえる。

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